アテネオリンピックを1年後に控えて各大陸予選が始まりますが、 世界各国強いところはどこもNBAプレイヤー(とそれに近いレベルの選手)を擁しています。 今回は『NBAにおける海外選手の存在』または『アテネを目指すNBA選手』というテーマで 座談会を用意してみました。
※ 座談会・参加者 とうみん※1 / T.S.※2 / かなやん※3
【イントロ】
かなやん:本日はとうみんさんの提案でこの3人で座談会をすることになりました。それではまずは軽く自己紹介と抱負を。
とうみん:それでは提案者の私から。こんにちは、スペインバスケを紹介するサイトをやっているとうみんです。バスケ経験はなく、NBA観戦歴も浅いのですが、こういう機会があることを嬉しく思っています、今日はよろしくお願いします。
T.S. :Vinsanity's NBA areaの管理人をしていますT.S.です。NBA以外は大して知らないくせに、アメリカ選手より海外出身選手に惹かれたりします。オリンピックや世界選手権で強豪国のバスケを見るのはホントにおもしろい!今日はよろしくお願いします。
かなやん:総合バスケットボールサイトを目指してるサイトを管理しているかなやんです。今回の座談会がきっかけでNBAファンの考えを少しでも変えられたら嬉しいです。さてそれでは座談会をはじめましょう。
【NBAにおける海外選手の存在】
とうみん:NBAにはいつごろからこんなに海外選手が増えたんですか?
T.S. :えっと、海外選手の最初は1970年、ホークスがメキシコ人とイタリア人をドラフト指名したんですよ。でも当時はほとんど戦力とは考えられてなかったようで、外国人が戦力として考えられるようになったのは'80年代からですね。
とうみん:80年代の知識は、うーん、無いですね。私が知ってたのってクーコッチくらいですし。あっ、フェルナンド・マーティンがいますけど。※4
かなやん:80年代の代表的外国人選手って誰でしょう?
T.S. :アフリカ勢ではオラジュワンが'84年ドラフト1位、これはけっこう大きな出来事だと思います。もちろんその後の活躍も含めて。それからクーコッチといえばクロアチア出身ですが、彼の前にドラゼン・ペトロビッチというクロアチアの選手が'86年にNBA入りしまして。今のヨーロッパ選手台頭の最初のきっかけは彼ですね。
とうみん:ペトロビッチってそんな前なんですね。
T.S. :若くして死んでしまったんですけどね。彼がいなければ今のヨーロッパ選手の繁栄もなかったと思われます。
かなやん:93年の6月のヨーロッパカップ予選(vsスロベニア)が最後のプレーになってしまいました。
とうみん:素人的に質問なんですけど、92年のバルセロナ五輪以前以後で状況は全く変わってますよね?
T.S. :世界中が変わりましたね。アルゼンチンなんかは、あれをキッカケに一貫教育を始めた典型的な国です。それが去年アメリカを破った。
かなやん:じゃあ1990年代の外国人選手の話をしていきたいんですが。
とうみん:やはりシカゴ・ブルズ王朝時代のクーコッチでは?
T.S. :ブルズ王朝の頃は僕よりかなやん殿のほうが詳しいかな。
かなやん:でも自分も第1次王朝はあまり詳しくないです。93年のファイナルは知ってますが。
T.S. :まあ第一次王朝はクーコッチいなかったし。
とうみん:がーん、第一次にクーコッチいない?ずーと勘違いしてたようです。
T.S. :ジョーダンが'93年に引退して第一次王朝が終わったんですが、クーコッチは翌シーズンからブルズ入りです。
かなやん:90年にブルズに指名されたんですよね。
とうみん:自分はクーコッチ以降ずーっと空白期間で、ディバッツの存在を知るまでノータッチ。
T.S. :そのディバッツも、ヨーロッパ選手の代表格になりましたね。
とうみん:そうですね、ディバッツは長いですけど、自分が知ったのは来日時、キングスがジャパンゲームで来た時(ゲームは見てません)
ペトロビッチ→クーコッチ→ディバッツという流れが自分の認識です。
T.S. :ディバッツが'89年NBA入りですから、入ったのはディバッツのほうがクーコッチより先ですね。ところでキングスが来たのって何年でしたっけ?vsウルブズのとき?
かなやん:99年です。おっしゃるとおり相手はウルブズで、自分は第2戦を観戦しました。
T.S. :ディバッツたちを生で見たわけですね?
かなやん:遠かったですけどディバッツの背中を拝むことができました(笑)
とうみん:あの頃のストヤコビッチはそんなにスターってほどでもないですよね。でもこのあたりから外国人がNBAに増えてきたんじゃないでしょうか(推測)
T.S. :ストヤコビッチとノヴィツキーがNBAに入ったのは、今考えるとヨーロッパ選手にとっての一大事件でしたね。えっと、'98年からかな。
かなやん:初年度はそれほど成績がよくなかったですよね。数字的には。
T.S. ::もちろん'98年当時は、これほどの選手たちになるとはほとんど誰も思ってなかったでしょう。
ノヴィさんの場合は2年目くらいから目立ちはじめてましたね。ストヤコビッチも※5「ベンチモブ」としてだんだんすごくなってきて。
かなやん:ペジャは本当に毎年「成長」を感じられる選手のひとりでした。
T.S. :そしてまだまだ成長してますよね。今ノヴィツキーとペジャの名前が出ましたが、この2人のいるマブズとキングスが'90年代終わりから海外選手受け入れの先駆けとなって成果を出したんですね。だから今、それにいろいろなチームが続こうとしているところです。例えばスパーズとか。
とうみん:よく考えたらその頃自分はスペインにいたのかもしれないです、97年くらい。それ以後サイト開設までバスケから遠くで生活してたかもしれないです。
T.S. :そうなんですか。そういえばバルセロナ五輪の影響って、当のスペインでは'97年当時まだ続いてたんでしょうか?今はドリームチームというよりガソルの影響で盛り上がってるかもしれないですけど。
とうみん:97年ころのスペインのスポーツ新聞はだいたい70%がサッカーで15%がバスケで残りがその他って感じでしょうか。NBAは報道されてましたよ。
T.S. :そうですか、やっぱりサッカーはどうしても圧倒的ですね。でもガソルたちがこれからちょっとずつ変えてくれるかもしれない。
とうみん:今NBAで活躍している外国人は、バルセロナ五輪を見て育った世代と言われてますよね。
T.S. :ノヴィツキーやガソルも夢中になって見てたらしいですね。たぶんペジャや他の選手たちも。
かなやん:そして今度はノヴィやガソルを見てる人達が育ってきてる。
とうみん:自分がガソルを知ったのは彼が新人王をとった後なんですが、それより前にNBAの目はもう世界を見てた。戦力として、どんどん選手をとっていった、この流れを肌で感じたのはやっぱりストヤコビッチ以後ですか?
T.S. :そうですね。ノヴィツキーとストヤコビッチの活躍後、一気に増えた感があります。
とうみん:今後増え続けるのか、それともこれ以上はそんなに増えないんでしょうか?
T.S. :まだまだ増える一方だと思いますよ。しかもますますいろんな国から来ると思います。
かなやん:増えるでしょうけど活躍できない選手もまた出てくるでしょう。
とうみん:増え続けていっても限度ありますよね?私は西?(キングスとかの方)はもういっぱいじゃないかと。
T.S. :どうでしょう?まだ選手全体の10%を上回った程度ですし、シュートはヨーロッパ選手のほうがうまいから、まだまだ増えるんじゃないかな。
とうみん:外国人枠ができる日はくるのでしょうか?必要でしょうか?
T.S. :あまり必要はないし、作らないと思いますね。作ったら「アメリカ人より海外選手のほうが強い」と認めるようなものですから、アメリカ人はそういうことやらないんじゃないかと。
とうみん:センタープレイヤーはすでにアメリカ人より外国人にという流れですよね。
T.S. :シャックとモーニングを除けば、アメリカにはほとんどいいセンターいないですね。なぜだろう金さん?
かなやん:7フッターはたくさんいるんですがNBAに通用する選手がでてこない。
T.S. :7フッターでもPFやるのが増えてきましたしね、最近は。
とうみん:7フッターでもPFやるのって、海外選手だとガソルとかですね。ミリチェックやランペもPFをやりたいとか。
T.S. :ガソルはSFまでこなせますね。現に'02年の世界選手権ではSFやってた。
とうみん:自分はお金の制限の話とかわかんないんですが、外国人で固めるチームがでてくる可能性は?
かなやん:外国人で固めるチームはまず出てこないと思います。
T.S. :なぜそう思うの?
かなやん:アメリカのバスケットスタイルにいきなりフィットできる外国人選手がいないこと。言葉や文化の違いもあるでしょうし。
とうみん:たしかにアメリカのスタイルは欧州のそれとは違いすぎですよね。ではこれからもあくまで(外国人選手は)良質のアクセントってのがいいですね。
T.S. :でもアメリカのスタイルがヨーロッパにちょっとずつ近づいていくとは思います。ゾーン解禁はそれを促進すると思う。ただ全員外国人はさすがにないでしょうね、当分。
とうみん:そういえばサンズのアシスタントコーチはイタリアの人じゃなかったでしょうか?
かなやん:M.ダントーニさんのことですね、多分。
T.S. :イタリアっぽい名前ですね(笑)でもHCはいまだ外国人いないんですよね。これから先は違うと思うけど。
かなやん:そのへんも注目ですね。
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